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シリーズ「神保町の快人」

■「神保町の快人」その1 ベルギー・ビア・バー事始
(芳賀紹八郎氏・株式会社ブラッセルズ創業者

芳賀紹八郎

芳賀紹八郎(はが・しょうはちろう)

北海道出身。1986年2月日本最初のベルギービアバー「ブラッセルズ」を開店させた。1994年には直接輸入を開始し、その後ワロン地方のビールを中心にビールを輸入など展開。2007年には、ベルギービール醸造に携わる醸造家によって組織される名誉団体「ベルギービールの騎士団」より名誉騎士に選ばれた。現在、オーナーを退いた後も、「カンバセーション・アンド・カンパニー」(本文参照)で活躍中。

川鍋○ 今回は、日本で初めて本格的なベルギー・ビア・バーを開業し、今年開店22周年を迎えた「ブラッセルズ株式会社」(注1)を創業された芳賀紹八郎さんにお出でいただきました。

 芳賀さんは、世界的な演奏家やアーティストを招聘して公演活動をしている「カンバセーション・アンド・カンパニー」(注2)の代表としてもご活躍で、そうした世界中の演奏家やアーティストとのお話も大変興味深いものがあるのですが、それは次の機会に譲ることにいたしまして、今回は、この神田神保町という地にベルギー・ビア・バーというものを作ろうと思った、そもそものきっかけをお話し願えればと思います。

「音」を買いにベルギーへ

芳賀● 今からだいたい25年ぐらい前でしょうか、僕は頻繁に音楽の著作権を買い付けにベルギーに行ってたんですよ。ベルギーはEUの中心といいますか、ドイツとかイギリスやフランスのレーベルを集めている音楽関連会社が結構ありまして、ブリュッセルはそうした意味で非常に便利な場所なんですね。

川鍋○ つまり音楽の流通拠点みたいなところだったんですね。

芳賀● 当時ベルギーは非常に不景気で、織物とかダイヤモンドとかの産業は有名だけれど、その他いろいろな工場がバタバタと倒れたんです。25年から30年くらい前でしょうかね。その時に工場とか倉庫が空き家になっているのがいっぱいあったんです。そうこうするうちにイギリスやフランスや西ドイツやいろんな国の若い連中、いわゆるロックをやるような連中がそこに目を付けた。練習場とか演奏会とかそういう所を使ってやるのにとても便利だからね。それとダンスをやる連中とかね。また現代アートをやる連中っていうのも、タッパのでかい作品を作成するには、倉庫なんかだと非常に作りやすいわけ。

 市などの行政が倒産した所から借り上げて管理し、それを若い人達にさまざまな形で貸していたのです。だからいろんな表現の場がその倉庫の中にあって、一方ではガンガンロックの練習をやっているのもいれば、コンテンポラリー・ダンスのリハーサルをやっている連中もいれば、とてつもない大きな現代アートを作ったりなんかしている。それが皆、チェコから来たとか、ポーランドから来たとか、国籍もいろいろなんです。倉庫の外にはバイクが何台も置いてある。皆バイクで来たんだ。ボロボロのバイクに乗って集まった。

 そんないろんな連中がやっているから、バンドにしてもダンスのカンパニーにしても、自然と国も民族も混じっちゃう。だからあのダンサーいいなと思ったら引っ張れば良いわけ。たとえばそこにアフリカ人のダンサーも入ってきてという風にしてカンパニーが出来上がっていく。

 あのモーリス・ベジャール(注3)も当時はそれこそブリュッセルにカンパニーがあったんですよ。

 それこそいろんな活動がベルギーでは盛んだったんです。そういう意味で著作権を管理する会社もあった。会社といっても小さな会社なんだけど、それが面白いほどなかなか良い感性を持っていて、ロンドンのあるロックのチームの非常にとんがったモノなんかを集める。将来的にはEMIとかビートルズなんかをやっていたところみたいになるかもしれない会社がバカバカ出来ているわけ。もっとも、そんなに細かいくだらない音楽なんか誰も買わないわけ、くだらないと思っているからね。そんなの世界的に売れるわけないと思っているから。

 でも、そういうのをベルギーの連中はしょっちゅう買うわけね。1曲いくらでね。それで著作権の会社を作るわけ。だからアーティストも面白がって、イギリス人であろうとどこの奴でも、ベルギーの著作権会社に自分の楽曲を預ける。そこで僕の方は、しょっちゅうそこへ買いに行っていたというわけ。買いに行くといっても1曲だけ買いに行くってわけではないよ。500曲とか、何百曲とかまとめて買う。そこで商談っていうことになるわけだけれど、ベルギー人というのは、とにかく交渉ということにかけては辛抱強い。1%でどうこうという話になる。1%のことで4時間でも5時間でも…、俺はまけろと言っても向こうはまけないわけだ。食っているものが違うというせいもあるけれど、だんだんとこっちもイライラするでしょう。大体の場合は根負けして、妥協するわけ。でも終ってからやっぱり後悔するんだな、1%で。その曲がラジオで流れれば大体20円とか15円とか入ってくる、流れるとすればだけどね。だからまとめて買わないと意味がない。商いにはならない。

 そういうことで、しょっちゅうベルギーに行っていた。まあ変な話だけれどみみっちいと言うか「1%問題」でとても疲れる。でも彼らベルギー人は全然平気。煙草も吸わないし、酒も飲まないで平気で交渉するわけだ。こっちは疲れてくるからブレイクしようとして外へ行く。でも、どこへ行っていいか分らない。交渉相手が「じゃあ俺が連れて行ってあげるよと」って言うけど、余計に疲れるから「もう来ないでくれ、一人で行く」。

LPからビールへ

芳賀● それでも一人でふらりとバーやカフェに行ったら、そこにはそれこそいろんなビールがあるじゃない。これは面白いものだなと思って、いろんなビールを飲んだわけだ。で、そのうち「これはビールを商ったほうがよっぽどいいや」と思うようになったんだ。

川鍋○ なるほど、そういうことか。(笑)

芳賀● そうそう、だから当時はいつも小さなホテルに泊っていて、それでCDじゃなくて、あの頃はLPだけど、それをドッサリ引っ張ってホテルに帰ってくる。そうするとフロントの人もそれをジッと見てて、「大変だねぇ」とか言っている内に、いつの間にかそれがLPじゃなくてビールを持って帰ってくるようになるわけ、リサーチのためにね。すると「いつからレコードやめてビールになったんだ」と言うから、「いやぁ、ちょっとビールに商売変えしてみようと思う」と言ったら、「それは面白い、それだったら俺も参加出来るじゃないか」となった、奥さん達も。それなら俺の村、つまり皆それぞれに出身地があるでしょう「俺の村のビールが最高だよ」と口々に言うの。

川鍋○ なるほど御当地の地ビール自慢になったわけだ。

芳賀● ブリュッセルの近郊なんかは絶対ダメだというわけ。オラの町のビールといったらフランドルの端の方とかいろんな所のがあるわけだ。で、そのビールは、ブリュッセルに無いのかというと、それは売っているという。「それはお前にはわからないだろうから明日俺が行って集めておくよ。凄いやつをね」。「領収書を取っといてくれ、それを払うから」と言ったのだけど「いやぁ、いいよ」と言って彼は自前で払ってきた。

川鍋○ なんかいい話ですね。

芳賀● そこのホテルの小さなレストランで、ちょっとした品評会が始まる。僕とホテルのおっさんと厨房にいるおっさんのそれぞれの名前を書いて、ビールを飲みながらAとかBとかCとか評価をする。ところがこれが全然評価が違うんだ。

 実は当時は、僕もそんなにベルギービールのことを知っていたわけじゃない。やっぱりサッポロ、キリンに似ているのが良いやと思っていたわけだ。ベルギービールの味の有り様がこういうものだというのがわかっていなかったから…。

川鍋○ 私もブラッセルズに出会うまでラガー系のビールだけがビールだと思っていましたからね。

芳賀● ところがいろいろなものを飲み始めてみたら、もうそういうラガー系のビールはだんだんと受け付けなくなった。そのうちにLPレコードを担いで帰ってくるのも止めてしまったわけだ。それでまぁ、ちょっとしたきっかけもあったのでビア・バーを始めたということなんですよ。

父母会に特別召集!?

川鍋○ だけど開店当時は、駿河台の交差点近くとはいえ錦華通りに面した御茶ノ水(旧錦華)小学校に隣接したところですよね。昼間は子どもたちがたくさん通るけど、夜はけっこう閑散とした立地で最初は1階のカウンターだけの狭いスペースでしょ。あそこで商売になると思いました? しかも誰もベルギービールなんて知らないじゃないですか。

芳賀● そうだよね。わかんないよね。

  そうそう、それにあそこの建物を建て直していた時に、突然錦華小学校の父兄会に呼び出されたんだ。錦華小学校父兄会というのから特別招集された。

 校長先生や副校長さんはじめ父兄がバーッと30人位もいるんだよ。集まった父兄の顔が普段のにこやかな顔でもなんでもない。皆ずっと下を向いているか睨みつけている。そして校長先生が司会者になって、「今日は有難うございました、わざわざいらして頂いて」とか言って、それで「今日は他でもありません。芳賀さんの新しい店舗がとうとう、しかも小学校の脇にまで出来る。その辺の事について、父兄からも非常に心配で問い合わせがあったから、会議を開いた」と言う。

 いったい何のための会議かなと思ったら、父兄の中の若い男の人が、若いお父さんだろうね。そのお父さんが会社を休んでまで来ているんでしょう。それでね僕に向かっていきなり「恥を知れ!」って言うんですよ。で、恥を知れったって、もうビックリした。

 なにがなんだか…。父兄は「口に出すのもなんとも」モゴモゴ言ってどうも要領が得ない。それでも少しずつ話を聞いているうちに、ははぁ、これは「芳賀書店」(注4)のことだと気付いた。僕と字が一緒なんだよ。

 「いやいや、芳賀書店じゃないですよ、昔あそこにスキー屋があったでしょ、戦時中から芳賀って表札あったでしょ。」と話した。その中の一人が覚えていて、たしかあったなぁという話。「ああそう言えば芳賀っていうわ、あっちの方が昔から居る。苗字が同じだけなんだ」って。結局30分位してやっとわかった。なぁんだって話になって、それで急に父兄会は解散になった。途端にパーッと誰もいなくなった。校長先生と僕とふたり、黙ってさ…。校長先生が「お茶でも飲みますか」「うるさい!」(笑)

 「失礼しました」も無いんだよ。ひどいよ、本当にひどいよ。誰もいなくなっちゃったんだ。

川鍋○ でもねえ、芳賀書店が小学校の隣に来るとなるとね。

芳賀● それはそうなんだけどさ。学校の行き帰り、ある意味いい勉強にはなるかも知れないよ。まぁ、そんなことがありましたね。

 あそこのビルを建てるとき、2階、3階は最初カンバセーションの事務所の予定で、1階をどうするかってことになった。今あるお店の隣に焼き鳥とおでんの店があったのを知っている? そこの親父さんと一緒に酒飲んでいる時に1階をどこか借りてくれる所はないかなと言ったら、ちょっと待ってと一緒に、出て行って見た。そしたら「これは自転車置き場くらいにしかならないな」と言われたんだ。「人に貸せるような物ではない。だったら何か自分でやれ」と言う。じゃあ何をやったらという話なので、それならベルギービールを持ってきちゃおうかっていう話になったんですよ。

川鍋○ 芳賀さん、神田生まれなの?

芳賀● いや、違う違う。僕は札幌生まれですよ。

川鍋○ 札幌なの。それで神田に拠点を持ったというのはいつから?

芳賀● いやね、戦時中から僕の親父はスキーを北海道で作ったり、神奈川県の茅ヶ崎でサーフボード作ったりしていた。昔はスポーツ用品店というのは、あまり無かったんですよ。スキー用品を売る所がほとんど無かったの。で、スキーってみなデパートで売っていたんですよ。だから、高島屋とか三越とか日本橋に近いところに、一旦作ったものを置いておくという場所に神田が良い神保町が良い、という話でだからそこにスキーを一旦置いて、それから納品したの。

川鍋○ じゃあ、ビクトリアとかなんかが出来るずっと前の、老舗中の老舗じゃないですか。

芳賀● まあ、どうか分かんないけどね。それで、あそこからスキーを配達していたわけ。だからあの辺の親父さんとかが知ってたわけだよ。だいたいね神田っていうところはね、なんやかや家族構成まで全部みんなばれちゃうからね。

 すぐそこに昔、風呂屋があったんだけど。大体この辺の人達は、風呂を作らないから、風呂屋へ行く。風呂屋へ行くと言うのは楽しみだし、風呂屋へ行って人と会う。「お前のとこ倅どうしたとか、九段高校落ちただろう」とかなんとか言っている。

ビアバー「ブラッセルズ」の黎明期

川鍋○ なるほど神田とベルギービールとの繋がりがだんだん見えてきた。それで、日本におけるベルギービールの夜明けというと大袈裟か、開店当初はどんな感じでしたか。お客さん入りましたか。

芳賀● いや、入らなかった。最初の数日間位は全く入らなかったですよ。で、お客が突然入って来た時には、我々スタッフや関係者がなんやかんやが、ちゃんと飲んでくれるかなと覗いたりなんかした。

  川鍋さんが来た時もそんな感じだった?

川鍋○ 僕が初めて「ブラッセルズ」に行ったのは、開店から半年くらいは経っていたと思うんですよ。以前三崎町の方に事務所があったんです。そっちの方でお客さんがね、「川鍋さん、ちょっと気になるお店があるんだけど、つき合ってくれませんか」と言って、編集作業が終った後、そのお客さんと一緒に行ったんです。「ああここですか。僕もちょっと気になっていたんですよ」という話で、なんだか怪しげじゃないですか。入りづらいし、戸口も狭いしね。

芳賀● その時ベルギービールの知名度なんかどうだったんですか。

川鍋○ いやあ、ベルギービールの店だったなんて分らなかったの。店に入って初めて分ったわけ。ベルギービールが普通のビールとはまったく別ジャンルのものだということはその時まで知らなかった。

 しかもカウンターの中にいるのは外国人(ベルギー人)ですよ。こんな神田界隈で、初めての体験でした。その後ベルギーに旅行した時もその彼にお世話になりましたけどね。

 それで、何があるのって聞いたら「ここはベルギービールのお店です」って。彼が「ではまずこれを」と言って出てきたのが「シメイの赤」でした。それを飲んで、「何だ!これっは!!」って。

芳賀● 当時「シメイ」は高島屋が輸入していたんですよ。他にもベルギービールというのは、何種類か入っているけれど、そのころ「世界のビール詰め合わせセット」といった感じで、お中元なんかで贈るので、いろんなラベルが貼ってあるから楽しいからというわけで、他の国のいろんなビールも入っている。そういう具合だから、いわゆるベルギービールという意識はなかったわけです。

川鍋○ ベルギービールに出会う前から僕はビールが大好きだったんですよね。

 生ビールを日本で一番美味しく飲ませるという店が東京駅八重洲口にあったんです。その名を「灘コロンビア(注6)」といいました。今では伝説中の伝説の店になるんですが、新井徳司さんというビール注ぎの名人がいて、それはそれはのど越しのよい、苦味がスッキリとしたビールを飲ませてくれました。普通「ビールは一杯目がウマイ」なんていうけれど、そこのビールは何杯目でも一杯目のように美味しいんだ。新井さんの言葉は理に適ったものでしたし、ビールというものに対する愛が感じられました。普通のアサヒビールが注ぎ方ひとつでこんなに違うのかと感動した。

 たまたまその店は僕が通った大学の先輩の実家だったものだから、在学中から時々行っていました。だから、生ビールの事なら何でも知っているみたいな思いもあったのですが、初めてベルギービールに出会って、いままでのビールは何だったのかとちょっとショックでしたね。全くジャンルが違うじゃないですか。

 でも、ベルギービールを知れば知るほど「灘コロンビア」の新井さんが実践していた注ぎ方やグラスの選び方などベルギービールとの共通性に触れる度に新井さんの偉大さを改めて認識しています。

 ところで、ベルギービールがこうして徐々に広がってきたのは、やはり口コミなんでしょうか。

芳賀● ああ、そうかも知れませんね。特に宣伝も何もしませんからね。ただ、どういう訳か最初の店は神保町、その次ぎの神楽坂店は新潮社の並びでしょう。本や出版に関係するのところに、1店舗目も2店舗目も出たんですよ。特に神楽坂店なんかは、いやぁついにベルギービールが飲めるようになったかとか言って、非常に知識のある方々、我こそはという様な人達が大勢いて、そういう意味でわりと広がりやすかったかもしれない。

川鍋○ 神楽坂店って新潮社の並びだから、人通りは少ないし、結構辺鄙な所なんですよね。

芳賀● そうそう、だから未だに新潮社の人達が大勢溜まっているんですよ。その人達がいろいろと喋ってくれる点もある。

川鍋○ 神保町店は元は1階のカウンターだけだったから、ゆっくり座れる場所が無かったんですよ。

  神楽坂店は、ちゃんと座れてしかも本格的料理も出る。そういうベルギービアバーだったので、だから僕もよく行きましたね。そのあと茅場町店(現在は無い)や原宿店などが次々できましたね。

ビールの泡が…

芳賀● そう、あの頃は「シメイ」を高島屋から入れていたけれど、東京の高島屋はもう売り切れちゃって無いからというので、「カンバセーション」の音楽ツアーをしている時に、そのスタッフに大阪の高島屋で買ってもらってきたことがある。

川鍋○ このグラス、そのころの高島屋から貰った「シメイ」のグラスです。

芳賀● ああそういえば古い感じがするね。この銀の所、今のはこんなに厚くないね。

  ずいぶん前の話だけど、シメイの修道院のお坊さんの所に行った時の話をしよう。

 昔は時々だけど、ビールのコンディションのよくないものもあったんだ。ビンを開けても開けても全然泡がたたない。そういうものを5,6本ベルギーに持って行って、シメイの修道院に行ってそのビールを飲ませた。お坊さんの製造部長みたいな人にね。それで栓を抜いても全然泡が立たない。で、一生懸命コルクの栓を見ているわけだ。1回開けてないかということを。何本栓を開けてもジョボジョボとなっている。それで何と言ったかといったら「これはボトリング会社が悪い」。

川鍋○ えっ、ボトリング会社って、自分の所で詰めてないの?

芳賀● 修道院ではビールは樽で作って、樽を売るわけ。ボトリング会社が別に来て、樽からビールをビンに詰めるわけなんだ。

川鍋○ あの当時はビールはすべて船便、それも普通のコンテナででしょう。何ヶ月もかかって赤道を何度か行き来するのだから、状態の良くないビールもかなりあったでしょう。

芳賀● あの時ほどひどいことは無かったですよ。何カートンというか、全部もう死んでいたから。

川鍋○ 数年前からリーファーコンテナ(冷蔵コンテナ)になって、だいぶ品質も安定してきましたね。前は妙に味が変化してそれはそれで美味しいビールもあったりしたんですけど…。

  修道院の外、他の醸造所もずいぶんと行かれたんでしょう。

ビールは手作り

芳賀● いろんなところに行きましたよね。1日5ヶ所くらい行きました。毎日ですよ。

川鍋○ それは大変ですよね。

芳賀● ベルギーのビールは基本は手作りですよ。本当に。

 ベルギーには一方では、世界で2番目、3番目位の大きさのビール会社がありますよね。それこそアサヒやキリンなんかが束になっても勝てないようなドでかいビール会社がある。けれども、基本的に各地区の村とか町にあるビール会社は、100年とか200年の歴史があるけど従業員が4、5人で、まさに手作りでやっているというような所がほとんどなんだ。機械化もあまりしていない。だから日本人が見ると本当に細々とやっているというようなものかもしれないが、ところが全然そんなことはなくて、とてもプライドを高く持って造っている。そもそもその町のビール醸造所はそこの町民が株を持っていますから。

 それもね、その株事体おじいさんやひいおじいさんの代から受け継いで来たものなんだ。

川鍋○ 醸造所の株を、町の人たちが?

芳賀● だから町に必ず小さな旅館かホテルが一軒か二軒あるでしょう。あるいは小さなカフェとかね。それなりの人たちがみんなが株を持っているから、醸造所を受け継いだ人達が勝手な事は出来ないでしょう。

川鍋○ うーん、すごい話だなあ。

芳賀● それで5人とか6人で造ってる。今飲んでいるこのビール、ここの会社は大体6、7人くらいでしょう。

川鍋○ この人達にはもう本当に感謝感激だな。

 でも、基本的にはベルギー国内での消費を考えての醸造ですよね。そんなに従業員が少ないと大量には造れないでしょう。

芳賀● 国内というより基本は半分以上その町で消費するためだよ。

川鍋○ ということは「輸出」ということは…。

芳賀● ほとんど考えていなかったでしょうね。

 そうだからよく言うのは神田のお豆腐屋さんですよ。神田のお豆腐屋は知らないところには、たくさん売らないですよね。神田界隈の何軒とお得意が決まっているわけでしょう。朝起きてから仕込む生産量も決まっている、醸造所の彼らも同じですよね。

 ところがヨーロッパ中が旅行ブームになって、ベルギーに行けば美味しいビールが飲めるというのがだんだん広がっていったんだ。だからブリュッセルに出してみようかというので、ブリュッセルのカフェに量は基本的に少ないけど、これだけは出すというような生産体制になった。

 そして自分の町から出てブリュッセルに持って行く。ブリュッセルは観光客が来るからその人達がいろんな町村のビールを飲めるようになったわけだ。

川鍋○ 日本だって東京などの大都市くらいでしょ、全国のいろんな日本酒や焼酎が集まってきて飲めるのは。それと同じようにブリュッセルだけはいろんな種類のビールが飲めますね。だけどそのブリュッセルより、この東京の芳賀さんのお店の方がむしろワロン地方のビールも充実していて種類も多いんじゃないですか。ファーイースト(極東)というか東洋辺境の地である日本でこれだけベルギービールが飲めるのがとても不思議な気がしてきました。

芳賀● もっとも、その昔ビールを造る権利は、だいたい元々は修道院の権利だったわけです。それが修道院のお坊さんがだんだん造らなくなって、ビールの醸造する権利を町の誰かに売るわけですよね。売るかロイヤリティを取るか。ただ、ロイヤリティといっても彼らは絶対にお金の事は言いませんよ。お布施だから。

川鍋○ ああ、修道院だから。

芳賀● このシメイビールはボトリング会社が買いに来るんだけれど、だからリッターいくらというけれども、それはお布施なんですよ。

川鍋○ でも町村のそういう小さい所は、ビールを日本に輸入する時の段取りは大変なことでしょうね。

芳賀● そう、大変ですけどそれが一番楽しいし、やりがいもある。

ビールは「農産物」

川鍋○ でも、いざ輸入しようとしても、小さい醸造所がたくさんあるわけでしょう。とても効率的に、いっぺんに運ぼうとしてもそううまくいかないんじゃないですか。

芳賀● そうね、それでまず何軒かの運送屋を回ったんですよ。

  だいたい1回に5、6ヶ所の地区を回って行かなくちゃならない。そこでわりと大手の運送会社のある小さなセクションへ行ってそういう事は出来ないかと聞いたら、出来ると言うんだ。それは「農産物」を運んでいるから大丈夫だという。

 しかもその会社が船会社とも提携していて、船会社のことはよく知っている。それで今度ココとココとココを回って少量ずつビールを集めてくれる。それをワンパッケージにしてもらって、それを送ってもらう。

川鍋○ 流通ルートが出来ている。

芳賀● そう、だから運送会社のおかげで出来ている。

 つまり、その田舎の町で造っているビールがあるとする。だいたいヨーロッパだから平原でしょ。そこにシャトーとか教会があって町が成立していて、それで少し離れた所に修道院がある。場所によっては古いシャトーがあったりする。その辺にはたいがい小さなブリュワリーがある。

 その周りは畑でその畑でできる農産物とリンクさせるんだ。我が地元のビールはここのアスパラガスとでなければコンビネーションはうまくいかない。だから隣町のアスパラ、あれではダメなんだという話。僕は、さっき食ったのと今食ったのと同じじゃないかと思うんだけど…。日本で「関サバ」とか言い出したのはつい最近のことだけど、そうしたことをずっと以前から彼らは言っている。自分のところの産物を差別化するということ、地元の個性的なビールとコンビネーションで売る。つまりビールは農産物なんだ、産業製品ではないんだ。農産物だからうちの地元の農産物とコンビネーションで、このビールを飲む時はこの地元のアスパラって風にね。メニューを見ると、頭に必ずなんとかアスパラと付いている。これ普通のアスパラじゃないのかと言うと、アスパラですよと言う。

川鍋○ でもそれって、地方の文化を守っていますよね。

芳賀●ああそうですよ。あっ、チコリ。チコリもねいっぱいなんとかチコリ、なんとかチコリ。そうそう、だからなんとかチコリとこっちのチコリは違うのかと言うと、同じなんだよね。

川鍋○ ベルギーのチコリはさすが原産国だけあってすごく立派なチコリですよね。

 ビールが農産物という概念は、ベルギーだからこそイメージできるんですね。でもいざ輸入の段階で税関を通るときいろいろと問題も多いとかいう話も聞いたんですけど。

ちょっとかっこ悪い話

芳賀● でも、もうそれは船に乗せる時に、すでにそれはきちんとした外国の輸出品だから、日本の入り口で関税はきちんと処理をします。ただその時に問題だったのは、面倒くさいからビールとして税金を払っていたことかな。それは我々が調べた成分表を出した時に、どうも日本のビールの成分表と違うんですよ。これは雑酒という分類じゃないかという話で、でもラベルとかは当然ビールと書いてあるでしょ。そうすると、いやこれは基本であってバリエーションがあるんだという話なんですよ。当時はこちらが負けたわけだけれど、今サッポロとかキリンとかああいう大手が発泡酒といって税金の率がちがうのを出してます。意外にベルギービールは日本での成分表的には発泡酒も多いですよ。

  税関は、「ビールじゃないのね、ビールじゃなかったら売れないぞ」というわけです。「ビールと書かなきゃおかしいよ」と。その当時だから、まだ発泡酒と言う名前がないから。そうか、そう言われたらそうだな。「あなたの所はビール屋さんでビール出すんでしょ」、「そうです」、「じゃあ君ビールじゃないものを売るわけじゃないのか」と言うから、素人だから脅迫されているみたいで「やっぱりビールですね。ビールとして出さないと売れないですね」と言うと、「じゃあビールで払いなさい」と言われ「はい払います」。(笑)

川鍋○ 芳賀さんも結構人の良いところがあるんですね。

芳賀● いやぁ、単に知らなかっただけですよ。

 その時にね。最初に色々なビールを見つけたけれども輸入できなかったんです。輸入免許がなかったんです。それでたまたま灘にある日本酒メーカーで小西酒造という「白雪」というお酒を造っている、そこの先代の社長さんがたまたま神田のお店を出した時に、ふらっと来た。ビールが面白そうだと言うので、そこの会社の人がよく訪ねて来るようになった。

 そこはワインも入れている時期があったので、じゃあ輸入してくれませんか、100%うちが保証して買いますからという話をしたんですね。そしたら、それは良いでしょうという話になって、本格的にベルギービールを輸入しはじめたのが小西ということになっているんです。ただそれはもともと全部うちのアイテムだったんですよ。

 その時にね、自己消費する時には輸入免許はいらないと言うことを知らなかったんですね。だからベルギービールの店舗を構えていた時には、ベルギービールを輸入して全部そこで消費していた。販売する分にまではなかったんです。だけど我々はそれを知らなかったんです。だからそれはまぁ、バカみたいな話ですよね。いろいろ人に言われるけどね。

川鍋○ それは初めて聞いたな。

芳賀● ああ、ちょっとかっこ悪いからあまり言わないんだ。

ビールと出会い、人と出会う

川鍋○ でも芳賀さんはベルギーにご自分で行かれて、自分の目で見てそれを飲んでくる。それはすごいことですよね。普通はほら、他人に任せちゃうじゃない、誰か専門家みたいな人に。お前に経験あるからとか言って。

芳賀● でもその頃は誰もいなかったですからね。

川鍋○ じゃあ本当のパイオニアだったわけだ。

芳賀● ある町の醸造所を訪ねて交渉したときにこんなこともあった。

 その町の醸造所の若い社長が、輸出できるかどうか分らないけれど、自分はとにかくアジアに輸出してみたい、日本に輸出してみたいと言う。だから今日、臨時株主総会を開くという。それで、「ええっ今日決まるの?」と聞くと小さな町だからすぐに集まれると言う。さっきも言ったけど、町の人がその醸造所の株を持っているからね。

 それで僕が泊っている小さなホテルの食堂で株主総会をやるんですよ。僕は夜そこで飯を食っているんですよ、同じ所で。なんとも居たたまれなくて僕は聞いている。そこに集まったおじさんたちが全員チラチラ、チラチラと「あいつだ、あいつだ」と見る。若い社長が会社としても日本に出すということは誇りだという。だけど、「そんな得体の知れないところへ我が町のビールを持っていって、長時間揺られて品質が変わるかもしれない。そうなって、わが町が恥をかくようなことは出来ない。」とおじさんたちは言う。

 まぁ恥をかくと言ってもその町のことは日本人は誰も知らない、そう思ったんだけどね。つまり、赤道を通って味が全然ちがうものになってしまってダメになってしまって、そうしたら我々の町のビールはどうなるのだ。そう心配する。

 食堂のおばちゃんは、「あんたのこと話しているみたいだから、居づらいだろう。食事を部屋まで運ぼうか」と言ってくれたけど、「いやいい、ここに居る」とそのまま成り行きを見ていた。

 決を採る段になって、最後まで異議を唱えていたおじさんも賛成してくれた。小さな株主総会が終わり、そのおじさんが僕のテーブルまで来て、「よろしく頼む」とひとこと言ってくれたのはうれしかったね。

川鍋○ その後芳賀さんは、ブラッセルズ株式会社という輸入会社を作って、それで自分達で輸入出来るようになりましたよね。

 弊社で作ったパンフレットに掲載したような新しい品揃え、特にワロン地方を中心としたアイテムは、お店に通う多くの常連たち心を捉え、また新たなベルギービールファンも増やしたように思います。

 ベルギービールというものにめぐり合い、そこからベルギー人をはじめさまざまな人たちとの出会いは、今の僕にとって貴重な財産となりました。これも芳賀さんのおかげですね。

 今日は、本当にありがとうございました。 (2007/2 収録)


注1 ブラッセルズ株式会社

1986年、日本で最初の本格的ベルギー・ビア・バーを開店。

http://www.brussels.co.jp/

注2 カンバセーション・アンド・カンパニー

1981年設立。音楽・演劇・舞踊公演の企画制作や外国人音楽家、芸術家の招聘業務を行っていた。「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」「ジンガロ」「シャルル・アズナブール」などの他、民族音楽などの公演を積極的に行っている。

http://www.conversation.co.jp/index.html

注3 モーリス・ベジャール

1927年、マルセイユ生まれ。稀代のバレエ振付師。60年代から80年代中頃までブリュッセルを中心に活躍。90年代以降スイス、ローザンヌを拠点に世界各地で公演している。ベジャール・バレエ・ローザンヌを主宰。2007年死去。

注4 芳賀書店

神保町にあるアダルト商品専門書店。アダルト書店としては老舗。

注5 シメイ

ベルギー・エノー州にあるシトー派修道院、ノートルダム・ド・スクルーモン修道院で造られている「トラピストビール」。甘く芳醇な味とフルーティーな香りは、独特のものがある。日本でベルギービールが紹介された初期のころ、圧倒的に支持された銘柄のひとつである。

注6 灘コロンビア

東京駅八重洲口にあった伝説の名店。開店は1949年。店主新井徳司氏は、ビール注ぎの名人として、マスコミにもよく取り上げられ、1992年他界するまでビールを注ぎ続けた。新井氏が使い続けたサーバーは、新橋にある「ビアライゼ98」の松尾光平氏に引き継がれ現在も活躍している。

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