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「錦華通り、行ったり来たり」?? 社長の徘徊記

錦華通り

錦華通りを南に見る。

川鍋昭彦(かわなべ・あきひこ)

東京葛飾区生まれ。学生時代からミニメディア製作に携わる。1991年株式会社パンオフィスを設立。共著に別冊宝島「新・メディアの作り方」(宝島社)、「ザ・中退」(朝日新聞社)など、メディアと教育問題についての編集、出版に携わっている。

会社の前の通りの名を、錦華通りという。

会社の玄関を出て、右に目を向ければ東京ドームホテルの威容が見えてくる。また、左に目を転じれば三省堂の「大辞林」の大きな看板が飛び込んでくる。この通りはそういう位置関係にあるのだ。この通りは、猿楽町と神保町の境にあたり、それはそのまま神田明神と三崎町神社のテリトリーの境となっている。弊社のある猿楽町は神田明神側となり、2年に1度の大祭にはこの私も柿色の町会の半纏を身に着け神輿を担ぐ。神輿を担ぐ時に掛け声を上げるが、担ぐ度に息が上がるのもはやくなってきている現実もある。

私と、錦華通りとの付き合いは大学生になったばかりのころに始まる。教育関係の出版社があり、そこで月刊誌の発送の手伝いをしたのがきっかけだ。印刷工として就職したのもこの町。自分で会社を設立したばかりの一時期をのぞけば、ほぼ四半世紀以上この町に関わってきている。

この間、いろいろな人に出会ったし、いろいろな所でも飲んだり、食べたりしてきた。そんな神田神保町界隈のことを、心に思い浮かぶまま徒然に書いてみることにした。

第1回 とろろ蕎麦

 錦華通りを三省堂に向かって右手に折れ、白山通り方面に向かう。今は、ラーメン屋になっているけれども、数年前までそこは「T屋」という蕎麦屋だった。ちょっとだみ声のおばさんが、注文をテキパキとさばいているのが印象的な店だった。客ごとに注文はさまざまで、たとえば「ちからうどんのお餅2枚の玉(ぎょく)入り」とか「たぬきのおそば大盛りで玉入り」とかを昼時の混雑した店で、順番にきちんとこなしていたのを覚えている。蕎麦の味そのものは、まぁ十人並みではあったが、お値段の方はかなり庶民的で若いころの私には大変有難かった。

さて、いくつかある品書きのなかでも、私のお気に入りは「とろろそば」の大盛りである。そこのとろろそばは、他のところのものとは少しだが趣が違っていた。まず、蕎麦猪口のなかにはとろろと、鶏卵がひとつ、それと青菜が少し添えてあった。問題はそのとろろというのが、まるでお餅のようにモッチリとして箸でつかめるほどのものだったのだ。まるで自然薯のようと言ったらおおげさか…。

食べ方はこうだ。最初に蕎麦猪口にそばつゆを少し入れ、そのもっちりとしたとろろを箸でつまみ、口に入れる。…しっかりとしたとろろの香りが鼻空を抜ける。そばつゆとのマッチングもいい。これが1度目のおいしさ。仕事中じゃなけりゃ、これだけでも日本酒でキュッとやりたくなるくらいのいい肴になると思う。

次に、七味をちょっとふって蕎麦をつまみ、蕎麦自体を味わう。だいたい蕎麦の3分の1程までをたいらげる。ここまでが普通の盛り蕎麦。これが2度目のうまさ。

そのあたりまでくると、やっと卵の黄身を割り、ここで月見蕎麦となる。月見蕎麦とはよくいったもので、「卵黄の月」に「白身ととろろの霞や雲」がかかり、「青菜が松」の緑を演出する。もうそれは蕎麦猪口のなかのミクロコスモスという趣。で、ここではふっくらとした卵の香りとちょっと辛目のつゆとのバランスで、また3分の1程の蕎麦を楽しむのだ。これが3度目のうまさってわけ。

そうこうして月見蕎麦を食べている間に、今度はとろろが少しずつそばつゆに溶け込んでくる。そこで、はじめて最初に注文した「とろろそば」になるてぇ具合だ。まだまだとろろがしっかりしているから、十分にとろろの味が楽しめる。これが4度目の味わいということになる。

つまり、ひとつのとろろそばで4度も違ったおいしさを味わえるわけだ。だからそのためには、どうしても「大盛り」でなければならない。でなければこのエンターテイメントは完結しないのだ。薬味の配分も、どの段取りで葱をどれだけ使おうかちょっと迷ったりするのも一興だった。最後に蕎麦湯でしめてご馳走様。大満足であった。それが、私にとっての究極のとろろそばのあり方だったのだ。

ところがT屋が閉店してから、いろいろな蕎麦屋でとろろそばを注文するのだが、T屋のようなとろろそばに出会ったことがない。あのしっかりしたとろろに出会えないでいる。

蕎麦自体がおいしい店はあるのだが、いつかはあのような「とろろそば」を食べたいと恋焦がれている状況である。(2008/3)